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テクノロジーの発展と音楽

 現代、テクノロジーの発展によって、音楽の受容のされ方が急速にチープなものになっているように思う。確かに、音楽が手軽に安い値段で手に入り、場所を選ばずに音楽を聞けるようになったことは、聞く側にとって、喜ばしいことだ。だがその裏で、1つの曲の重さを感じられなくなった。最近流行っているMP3Playerには、10000もの曲が入るようになった。それをシャッフルして、ランダムに音楽を聞くと、確かにたくさんの色んな曲を聞けるのだが、1つ1つの曲に印象が残らない。今までは、気に入ったCDを大切に何度も聞いていた。1つのCDを買うのに、1000円から3000円ぐらいかかっていた。その値段の高さもあって、繰り返し聞くうちに愛着が沸き、より一層CDに収録された曲が好きになった。今では、1曲を100円程度で手に入れることが可能だ。インターネットが普及した現代、不法なソフトを使えば、無料で手に入ることだってある。このように、低価あるいは無償で取引されるようになった音楽は如何なものであろうか。

 まずは、テクノロジーの発展と共に変化した音楽の記録媒体について述べようと思う。音楽を音として記録することが不可能であった時代、人々は楽譜という媒体に音楽を記録したり、口伝で継承したりした。それが、1877年、エジソンの蓄音機の発明によって、音の録音が可能になった。音楽は、目に見えないものでありながら、記録媒体という仮の姿を得た。それまで、音楽を聞くには、生の演奏を聞くという形態しかなかったが、音楽を記録できるようになって、その記録媒体を取引することによって、音楽を聞けるようになった。まず、生まれたのがレコードであった。百科事典には、レコードとは、「らせん状の音溝に録音した円盤。蓄音機により再生される。」とある。平成生まれの私には馴染のないものだが、祖父が集めていたレコードを見たことはある。CDを一回りも二回りも大きくしたものであった。大きさゆえに、手軽に持ち運べない印象がある。レコードに取って代わって普及し始めたものが、コンパクトカセット、いわゆるカセットテープである。私もこれは小さい頃よく使っていたし、今も持っている。素人の自分にも簡単に録音をすることが可能で、ピアノの演奏を録音して聞いたりしていた。だが、何回も聞いていると、磁気テープが伸びてしまい、音が変になってしまうことがあった。音の品質保持には向いていなかったように思う。また、巻き戻しや早送りに時間がかかる欠点もあった。そんなカセットテープに取って代わって出来たのが、CDである。これは今でも店に行けば売っているし、大体今でもミュージシャンが音源を発信する主流はこれである。カセットテープに比べて、曲の頭だしが簡単に出来、繰り返し聞いても、音の質が大きく変わることはない。記録媒体としても、大きすぎることなくかさばらない。CDが今でも生き残っている要因はここにある。だが、CDはCD自体に素人が簡単に録音することは出来ない。そこで、生まれたのがMDである。カセットテープと同様に、また簡単に録音することが可能になった上に、CDよりも小さい。だからであろうか。主にMDにはCDを録音する役割があり、今でもMDとCDは親子のように見える。CDを買って、MDに録音して聞くというスタイルもあった。大本はCDであったことから、MDによるミュージシャンの音源発信は見られなかった。だからMDの誕生後も、CDは生き残り続けた。だが、そこで生まれたのが、MP3である。これによってCDの存在が危ぶまれている。MP3とは音楽のデータを圧縮する方法である。圧縮されたデータは、メモリーカードといわれる、10円サイズの媒体に保存され、MP3Playerや携帯電話でも再生が可能になった。また、プレーヤー自体に保存出来るものが多い。ファイル自体は、ネット上で1曲たった約100円という値段がつけられている。かなり買い求めやすく、自分のお気に入りのアーティストのものではなくても、買って聞いてみようと思うようになった。MP3は、インターネットが普及した現代、今以上に繁栄するであろうが、それと同時に、低価なMP3ファイルの影響で、高価なCDを買う機会が減り、CDが無くなってしまうのではないだろうか、という心配がある。

 このように音楽の記録媒体は1900年代に、様々な進化をとげた。進化を重ねるごとに、小さくなり、物質的に軽くなった。だが、その進化の中で変わらないのは、1つの曲の重みだ。作曲家と演奏家によって作られる1曲の重みは計り知れない。それはどの時代のクラシック音楽においても、ポピュラー音楽においても、同じである。1つの曲には、作った者と演奏した者の思いが詰まっている。その音楽が、記録媒体という仮の姿を持ったばかりに売買されるようになった。MP3ファイルの1曲100円という値段は、自動販売機に売っている1本120円の缶ジュースよりも安い。音楽はこんなにも安物なのだろうか?音楽とは本来目に見えないものであるから、値段は付けにくいものなのかもしれない。だから音楽というよりは、記録媒体に値段が付けられているとも言える。だが、実際に消費者が求めているものは、記録媒体という物質ではなく記録媒体の中に入っている音楽だ。その音楽は作曲家と演奏家によって作り上げられた結晶であるのに、それにしては安すぎるのではないだろうか。プレイヤー自体に曲を保存できるようになって、その中に保存されているとはいえ、CDやレコードのような記録媒体とは違って、ここにあの曲が入っているという実感がない。プレイヤーの中に記録媒体を差し込んで音を流すという行動が省略されているせいだ。音楽はCDのような個々にある記録媒体を失い、再び形を失った。本来の、見えない、形のない音楽に戻ってしまう。記録媒体を失えば、音楽は無償で取引されるようになるかもしれない。あるいは、もうされている。皮肉にも、音楽は本来あるべき姿に戻っていっているように思える。目には見えず、お金による価値を付けるものでもない音楽の姿に。だが、演奏家と作曲家というビジネスが成立している間は、音楽にはこれからも値段が付くだろう。

 現代、音楽はチープなものになっている。テクノロジーの発展によって、いつでも、どこでも、手軽に、安く、何事も収められるようになってきた。だが、物事が便利になる一方で、音楽のように下げるべきでない価値を下げていることを忘れてはならないと思う。
小論文 | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

音楽を見る! 竹井成美

音楽を見る!―教育的視点による平均律・五線譜・ドレミ誕生の歴史
音楽を見る!―教育的視点による平均律・五線譜・ドレミ誕生の歴史
竹井 成美



下の「楽譜」の論文を書く前に参考に読んだ本です。
本当は皆川達夫氏の「楽譜の歴史」っていう本を探してたんだけど、なくて
この本が図書館にあったので借りてきましたハート


音楽を見る
音を見る、ということがどういうことか。
また、楽譜の成り立ちに関しても、すごく簡潔にまとめられていて読みやすかった。


この著者自身も、皆川氏の本を推薦してたので、読んでみようと思いますラブラブ
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Kapsutin 8つの演奏会用エチュード

自作自演集「8つの演奏会用エチュード」
自作自演集「8つの演奏会用エチュード」



聞いた時はショックでした雷
ピアノってこんなにかっこいい楽器だっけ?って

ピアノといえばクラシックっていう頭でっかちな考えが一掃されました。
ジャズとクラシックの融合・・・他にも聞いてみたいハート

ピアノで行き詰った時は必ずこれを弾きます。
こんな風に弾いてみたいって憧れ、また頑張れます。
楽譜は持っているけど、この曲はCDみたいに弾けません失恋

カプスーチンの作曲の魅力と共に、演奏スキルにも感動します猫2
ジャズ風な曲が好きな人にオススメのCDです揺れるハート
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楽譜

 
楽譜という紙の上で、音楽は絶え間なく鳴り響いている。私達が眠っている間にも、音楽はそこに存在している。しかし、本来音楽は見えないものである。また、音は鳴り、消えゆくものである。それが、目に見える物質としてずっと存在し続けていることに、違和感を覚える。音楽は、どのように視覚化されていったのだろうか。

今、人々に普及している五線譜は、音の高さと長さを的確に表すことのできる便利なものである。五線譜のおかげで、過去の作品を今に蘇らせることができる。過去の人々が奏で、耳で聴いた音楽に近いものを、今、私達も聞くことが出来る。これはとても素晴らしいことだと思う。しかし、私たちが当たり前に使う五線譜も、実は先代の人々が色んな試行錯誤を重ねて、やっと完成できたものである。

音楽を形にしようとして、まず生み出されたものは文字譜であった。人のコミュニケーションのツールであった言葉を使って、音楽を表そうとするのは、ごく自然な流れのように思う。文字譜は古代ギリシア時代の楽譜で、音の高さを表す太古のアルファベットと、音の長短を表す記号で成り立っている。今の五線譜のように、楽譜そのものが音楽を描いているというよりは、暗号を解読するように、一つ一つの音を読まなければならない。今の便利さから見ると、とても不便なもののように思うが、それでもやはり、二千年前の音楽が形となって残っていることに驚く。次に生み出されたものは、音程譜である。これは開始音から、次の音までの音程、その音から、また次の音までの音程を表している。それぞれが、絶対的な音の高さを表しているわけではないので、一つ読み違えたら、後のものも全て誤読してしまうという欠点があるために、あまり使われなかったようだ。その次に、生み出されたのは、ネウマ譜である。物理的な音の上下の動きの形が描かれていることから、文字譜や音程譜とは違って、一見して音楽の推移が分かる。また、ネウマ譜には、譜線があるものと、ないものがある。譜線がないものは、ただ音の推移が分かるだけで、具体的な音が分からないが、譜線がつけられたことによって、絶対的な音の高さが示されるようになった。最初に引かれた一本の譜線が、二本、三本、いつしか五本に増え、音部記号も考案されて、徐々に今の五線譜に近づいていった。しかし、音の高さを表すことは解決されていったものの、音の長さに関しては、それから一層試行錯誤がなされた。モドゥス記譜法、定量記譜法を経て今の記譜法に近づいていった。また、描かれる媒体に関しても、インクの染み込みにくかった羊皮紙から、インクの染み込みやすい紙に移行したことで、白抜き音符を書くことが可能になり、四分音符のような黒塗り音符と、二分音符のような白抜き音符の使いわけが可能になったようだ。

大雑把ではあるが、このようなプロセスを経て、現在の五線譜は完成された。人々は長い年月をかけて、音楽を目に見える媒体に移しこもうとした。その結果、今の楽譜がある。一見、人々は音楽を視覚化することに成功したように見える。だが、果たして本当に人は音楽を目に見えるものに出来たのだろうか。聴く音楽は、見る音楽になれたのだろうか。

私達は、楽譜を見て過去の作品を演奏出来る。楽譜には、作曲家の記した音とリズムが記されている。バッハやモーツアルトが、頭に思い浮かべ、鳴り響かせたメロディを、時を超えて私達も聴くことが出来る。それによって、彼らを身近に感じることさえ出来る。彼らと楽譜を通して語り合うことが出来た、そんな気分になれる。音楽に正解はない。だからこそ作曲家の意思をくみとって、楽譜通り演奏することこそが、所謂音楽の「正しい弾き方」だと思う。だが、楽譜通り演奏したとしても、一つの楽譜から生まれる演奏は多様である。同じ音、リズムで弾いても、演奏は人それぞれ変わってきてしまうものだ。同じ演奏などというものは、ありえないものだ。どこが違うのか、具体的に言うときりがないが、それぞれの音のタッチ、数値として示されていないのならば、曲のテンポ、他にはritardandoの付け方などが挙げられるだろう。また、一概にForteと言っても、それぞれのForteがある。私のForteが、誰かのMezzo Forteであることも十分に有り得ることである。このようなことを考えに含めて、楽譜を見た時、楽譜がとても軽薄なものに見える。このForteは、どれぐらいの音量で弾くべきなのだろう?Andanteといっても、この速さはもしかすると遅すぎるのかもしれない。そんなことを思うことがある。作曲家の頭の中で鳴り響いた音楽は、そこに完全には示されていないのだ。作曲家の音楽と楽譜は一致していない。ただ、骨組みしか描かれていないのだ。楽譜はメッセージ性が強いように見えて、案外演奏者を突き放している冷たいものであるように思う。

人は音楽を視覚化しようとした。つまり、聴く音楽と見る音楽をイコールで結ぼうとしたということだ。これを楽譜に置き換えた場合、音のある音楽と音を持たない楽譜をイコールで結ぼうとしたことになる。だが、今はまだ楽譜と音楽はイコールになっていない。楽譜は音楽に追いつこうとした。五線譜の完成によってそれは成し遂げられているように思われるが、まだ楽譜は音楽に追いつけていない。鳴り響いても、すぐに消えてしまう音。それを追う楽譜。その追いかけっこの儚さが、とても虚しい。きっとこれからも楽譜が音楽に追いつくことはないように思う。追いつこうとしても、音は消えるからだ。

でも、私は楽譜が音楽に追いつけなくてもいいと思う。なぜなら、楽譜と音楽の間こそが芸術だと思うからである。そこに自由があって、人々の個性が表れるのである。もし楽譜と音楽がイコールになると、一つの楽譜から、一つの演奏しか生まれなくなる。それでは音楽が芸術の枠から抜け出てしまう気がする。
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バッハ平均律クラヴィーア曲集 全曲  SviatoslavRichter

バッハ:平均律クラヴィーア曲集 全曲
バッハ:平均律クラヴィーア曲集 全曲


平均律集の中では最高だと思う。
とりあえず私は、いつもこれを手本にする。
これを聞いて、市田儀一郎氏の解析本を読んで、声部を色分けしてから譜読みに入る。


バッハはとにかく奥が深い。
その奥ゆかしさに癒されるぴかぴか


バッハが生きた時代にピアノはなかった。この楽譜の名前も「クラヴィーア全集」。
ピアノのために書かれた曲ではない。

だから先生にいつもチェンバロみたいな音を、カーブしない真っ直ぐな音を求められた。それがなかなか出来なくて、平均律を半ば放棄したことがあった。

チェンバロのために作られた曲なら、チェンバロで弾くのが正当なんじゃないかなって思った。
なんでピアノで弾く必要があるんだって思った。


でも、このリヒテルのCDを聞いてから考えが変わった。
ピアノで弾く平均律が好きになった。



ほんとに上品で、荘厳な作品。
バッハがこのCDを聞いたらきっと喜ぶだろうな♪
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イマージュ
イマージュ

とても人気のあるCDなので、聞いたことのある方もたくさんいらっしゃるかと揺れるハート

これを聞くと、本当に音楽っていいなぁって思いますポロリ
私は、「風笛」「リベルタンゴ」「情熱大陸」が好きです。



「風笛」はテレビの学校へ行こうの企画で、トランペットからオーボエに転向し、複雑な思いを抱いていた吹奏楽部員が、オーボエ奏者の宮本文昭氏と共演する際に演奏されていたのを聞いて大好きになりました。もともとCDは持っていたけど、この曲をじっくり聞いたことがなくて、そういえば入ってたなって思い出して、それからよく聞くようになりました。

オーボエという楽器自身の歌う性格の上に、宮本文昭氏の心のこもった演奏が素晴らしくて、、何回聞いても鳥肌が立ちます。心にすーっと染み入って涙が溢れます。


残念ながら、宮本文昭氏はオーボエ奏者を辞めてしまうそうです。もう辞めちゃったのかな?もったいない失恋もっともっと聞いていたかった。



クラシック嫌いの方にもオススメのCDです揺れるハート
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吉松隆 プレイアデス舞曲集

吉松 隆 : プレイアデス舞曲集 2
吉松 隆 : プレイアデス舞曲集 2

下の記事の楽譜のCDです。
田部京子さんの綺麗なピアノの音色に奏でられています。
もちろん、違う弾き方も出来ます。
でも、こてこてしてなくて、シンプルな演奏で、その曲自体の美しさが映えているように思いました。BGMにも良さそう♪とても癒されます揺れるハート
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吉松隆 レグルス回路 ピアノ小品集

吉松隆 レグルス回路 ピアノ小品集
吉松隆 レグルス回路 ピアノ小品集



とっても綺麗で、繊細な曲がいっぱい入っています揺れるハートピアノ初心者にも弾けそうな曲もいくつか入っているので、興味のある人は弾いてみてくださいぴかぴか

私は高1の発表会で、この中に入ってる「4つの小さな夢の歌」を全曲弾きました。簡単な曲ですが、歌いこむことを課題にした場合、なかなか難しかった。

「春」は何か希望に満ちた、始まりを予感させる曲。

「夏」は他の三曲が綺麗系なのに対して、これはすごく潔いというか、スタンダードというか。拍子がちょこちょこ変わるのが面白い。最後は秋の予感です。

「秋」は大好きな曲!とても寂しい、哀愁漂う曲です。

「冬」は1年の終わりらしい曲。1年に別れを告げ、また新しい春が来る。そんな感じ。




他にもたくさんいい曲が入っています♪
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図解クラシック音楽大事典

図解クラシック音楽大事典
図解クラシック音楽大事典
吉松 隆



私は音楽書をあんまり読んだことがない。
今更後悔していて、ちゃんと読んでいく事にしました。


それで手始めに読んだのがコレ!
吉松隆氏の本で、絵が可愛くて面白いハート

内容は易しいものばかりだけど、結構へぇ〜って思う部分がありました。1日で読めてしまいます。クラシックにちょっと興味ある・・・ぐらいの人でも気楽に読める一冊です。お勧めしますラブラブ


ちなみに吉松隆氏は交響曲の作曲家だけど、ピアノソロも書いてて、とっても繊細で綺麗な曲でしたぴかぴか題名を忘れちゃったけど、春夏秋冬それぞれ4曲あって、私は「秋」が一番好きでした。すごく哀愁漂う曲で、弾くたびに感動していました汗
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音楽の聴き方

 音楽は言葉を介さなくても、人と人とのコミュニケーションを図ることが出来る、本来素晴らしいものだ。このように人間にとって良いものであるはずの音楽が消極的な結果を招くとは、何とも皮肉な話である。



 事故にこそならなかったが、私自身も次のような体験をしたことがある。電車に乗っているときに、ウォークマンで音楽を聴いていた。イヤホンをつけていたので、周りの音が聞こえず、ある女性に話しかけられていたのに、なかなか気付かなかった。私はちゃんと聞こえる耳を持っているのに、私の対応は耳が聞こえないも同然であった。



 本来音楽は、人と人との心を近づけるものである。一つの音楽をみなで共有し、共感し合う。音楽の楽しみはそこにあるはずだ。しかし、イヤホンで音楽を聴くという行動は、音楽を皆で共有できないどころか、外界と自分、そして他者と自分をも遮断してしまうことになる。他者とのコミュニケーションを助長するはずの音楽が、かえってそれを遮ってしまうということは、ウォークマンは本来の音楽のあり方ではないということだ。



 最近、音楽はあまりに身近になっていないだろうか。私達はウォークマンや携帯電話などで、いつでもどこでも自分の気に入った音楽を聴くことができる。その結果、音楽が自分のためだけのものになり、音楽を他者と共有し合うことがなくなってしまった。広いコンサートホールで、見知らぬもの同士が一つの音楽と向き合い、感動を共有する。これが本来あるべき音楽ではなかったのだろうか。 手軽さは、ある意味で人間関係を遮断し、利己主義を生む。あらためて、私達は音楽を聴くべき「場」というものを自覚しなくてはならないと思う
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激しいの♪
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